みなさん、こんにちは。
らしえる代表、伊藤雄一です。
今回はちょっと、らしえるの日常から離れて、思い出話を書かせていただきたいと思います。
いつもより長文になりますが、どうかご容赦ください。
私は福祉の世界に飛び込む前は、いろいろな業務に従事しました。
その中に「海外製造品の調達業務」というのがありまして。
もう15年以上も過去の話になりますが、私が海外で勤務をしていた時の事を書きます。
現地のとある工場に、はじめてお仕事の依頼をしに行った時のこと。
社長さんは、小柄ながら軍人のように精悍で、目つきの鋭い方でした。
それでいて数か国語が話せ、日本語も達者でした。
それなのに、
「日本人というのは、どうも信用ならん。お前がどのくらい誠実かを判断するから、明日から毎晩俺に付き合え。それが出来たら、依頼を受けてやってもいい」
と仰りました。
ずいぶん傲慢な対応でしたが、我々発注側は、予算・納期の面でも、かなり無理なお願いをしなければいけない、
という事があり「工場には、相手の顔色を伺いながらお仕事を受けていただく」事が、当たり前の世界だったのです。
そのため、信頼できる取引先を持つというのは、発注側の能力を示す事でもありました。
反面、騙される日本人も多く、多額の前金を払って仕事を踏み倒される、などと言う事もよく耳にしていました。
結局、私はお仕事を成功させるため、相手の懐に飛び込む事にしました。
さっそく当日の晩、連れていかれた場所は、小さな料理屋の個室でした。
部屋には丸テーブルがあり、その上にも下にも、ビール瓶が大量に置かれていました。
彼は「今から俺たちとゲームをしよう。負けたら飲む。ここの酒が無くなったら今夜はお開きだ」と言いました。彼と仲間3人ほどを相手に、ゲームが始まりました。
内容は手のひらに隠した爪楊枝の本数を当てる・・・というごく簡単なものでしたが、おそらくイカサマがあったのでしょう。
私は負けまくり、当日は酔いつぶれてテーブルに突っ伏しました。
翌朝、ホテルで目を覚まし、食堂へ行ってみると、昨晩のメンバーがテーブルに座って朝食を食べていました。
しかし私を見かけるやいなや、全員立ち上がり「こっちへ来い、一緒に食べよう」と言ってくれました。どうやら初日は合格だったようです。
翌日の晩は、ホテルの宴会場でした。
社長と、友人達の会社の従業員が揃っていました。100人くらい居たでしょうか?
皆すでに出来上がっており、私に遠慮せず「おい日本人、歌え!」と怒号を飛ばしていました。
社長を見ると「どうする?皆、お前の歌を聞きたいようだぞ?」と微笑みながら言います。
当然断るわけに行きません。私は拙い現地語で「遥か彼方」という曲を歌いました。
へたくそだったと思いますが、歌っている間怒号はなく、終わると皆拍手で迎えてくれました。その後は、従業員の方から酒を注がれまくり、やはり酔いつぶれました。
連日このような状況でしたが、日中は仕事が待っています。
工場とは、まだ最終的に仕事をする許可は出ていないものの、時間が無いのでいつでもスタート出来るよう、準備だけはしていかねばなりません。
これらの打合せ、勤務先への報告。全て抜かりなくやる必要がありました。夜間仕事が出来ないので、二日酔いの頭で早朝から取り掛かっていました。
昼食もサンドイッチやハンバーガーの出前を頼んで、時間を惜しみ取り組んでいました。
例の社長も、そこは決して手を抜きませんでした。朝からしっかり出勤してきて、お互い交渉の場で、ぶつかる事もしばしばありました。
しかしながら、昨晩の一件以来、工場のスタッフが、皆笑顔で挨拶をしてくださるようになりました。そこは素直にうれしかったものです。
さて三日目の晩です。
初日は友人、二日目は職員、今日は誰が出てくるんだ?と思いきや、通されたのは料理屋の大部屋。
そこには地元の・・・いわゆる地域の治安を守る職員の方が多数いらっしゃいました。どうしてわかったかと言いますと、皆制服のままだったからです(笑)
とても驚きましたが、地元のその筋とも良い関係があるんだぞ、という社長の誇示だったと思います。こうなると、彼のメンツをつぶすわけにはいきません。
彼らはとてもノリが良く、個室にあったカラオケで歌い出したかと思えば、
やがて全員でダンスをはじめました。
当然私も負けてはいられません。一緒に大騒ぎをして、この日も皆さんと一緒に潰れました。
次の日、街中で昨晩一緒だった方が交差点に立っており、目があうと、彼は私を指さしウィンクをして微笑みました。どうやら認めていただいたようです。
そして四日目の晩。
さすがに飲み疲れが出ていましたが、容赦はないようです。
この日は取り巻きはおらず、社長と私のいわゆる「サシ飲み」でした。
最初はお互いの身の上話から始まり、酒が回ると腕相撲で競い合ったり、肩を組んで歌い踊ったりしました。意識が朦朧とする帰り道、彼は無言で私に握手を求めました。
え、合格かな?と思いきや「明日、また迎えに行く」と言われました。
さて五日目。
この日は日曜日で、工場はお休みでした。
私はホテルで仕事をしていましたが、迎えに行くと言われていたので「これ、いつまで続くんだろうか・・・」という、半ば戦々恐々とした気分でした。
やがて正午になり、社長から「今から行く」との電話が入りました。
「今日は早いなあ・・・」と思いましたが、迎えに来た彼の車に乗ると、着いた先は彼の家でした。
通された部屋には、ひとりの老女がベッドに座っており、私を見ると笑顔で挨拶をしてくださいました。
訳がわからない私に社長は、
「俺のおふくろだ。ずっと病気で寝ていたんだが、今日は具合がいい。お前の話をしたら、是非挨拶がしたいと言ってな。休みのところ悪かったな・・・」と言われました。
そして社長は「これまでありがとう。お前の人となりが良くわかった。どうかこれから、よろしく頼みます」と言ってくれたのです。
母も私の手を握り、何度も頭を下げてくださいました。
その後三人で、簡単な昼食を摂りました。
シンプルなおかゆでしたが、それをすすりながら、何故か私は涙が出ていました。自分を認めてもらい、母から謝意を伝えていただいた事が心からうれしかったのです。
その後、社長とはぶつかり合いながらも仕事をし、無事に成功させる事が出来ました。
さらに何度か、その後も仕事をご一緒しました。
しかしながら私は海外の仕事から、今の福祉の仕事に転身したため、やがて連絡を取り合う事も無くなりました。
そんな彼の言葉で印象深いものがあります。
それは「異質の和」という言葉です。お互いが国籍も異なる初対面からの関係でしたが「相手を尊重する最低限の和を持つ事が大事」という意味でした。
これはどんな仕事をしていても、必要な事でしょう。
福祉の世界においては、利用者様でも、職員様でも「目の前の相手に心を尽くす」という気持ちを決して忘れてはならないのだ、と思います。
とても破天荒な社長でしたが、自身も勉強をさせていただいたな、と時々思い出すのです。
今回はその経験を皆様にシェアさせていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。